【テレビ】開始から30年、朝まで生テレビ! の功罪 メディア史上でどのような役割を果たしたのか

「冷戦が終わると論争の質が大きく変わる。番組にすれば面白いと思った」。番組の立ち上げに関わり、司会を務め続けてきた田原総一朗さん(83)は振り返る。
初回の放送は、冷戦終結の兆しが見えていた1987年4月24日。中曽根康弘政権の功罪を特集した。番組は今月28日の放送で361回を数える。

 最大の功績は、タブーのない「自由な言論の場」をテレビに確立したことだろう。昭和天皇の病状悪化が伝えられた88年、自粛ムードの中、天皇論を取り上げた。
その後も部落差別、新興宗教暴力団など当時のテレビが扱わなかったテーマで、当事者を粘り強く説き伏せスタジオに呼んだ。

 台本はあるが、「ズタズタになることがほとんど」と田原さん。真剣勝負の論争だけでなく、放送中に出演者が怒って退席するなどハプニングにも事欠かず、
知的さとエンターテインメント性を兼ね備えた刺激が視聴者を引きつけた。

 番組の鈴木裕美子チーフプロデューサーは「視聴者に考えるきっかけを提供したい。今あることを疑えと」と説明する。
深夜にもかかわらず、放送中に毎回約1千件の意見が寄せられる。「視聴者も第三の出演者のような位置づけ。応援しながら見てくれている」

 番組からはスター論客が生まれ、論壇を活性化させた。この番組の「功」といえる。映画監督の大島渚さん(故人)や
作家の野坂昭如さん(同)といった戦争を知る常連出演者の「理屈抜きの反戦」(田原さん)は重みがあった。新進気鋭の文化人も活躍し、
前都知事で国際政治学者の舛添要一さんや、経済人類学者の栗本慎一郎さんらも広く知られるようになった。

潮さんは番組の変容も指摘する。「1980年代末から90年代前半にかけてのワクワク感が薄れている」。現在の朝生についてこう述べ、
その理由を「当時に比べて思想的な対立が減り、議論のタブーもなくなった。論壇の退潮が影を落としているのかもしれない」と分析する。

 さらに社会の情報化による影響も避けられない。上智大の碓井広義教授は
「誰もがインターネットで日常的に多様な情報にアクセスできるようになった。かつて朝生でしか見られないという『言論』の特別さが失われた」

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